法律が守るもの
科目、本採点、自己採点
経済、四八点、四四点
財務、二四点、二四点
経営、五一点、五四点
運営、四三点、四一点
法務、四八点、四八点
情報、三六点、三二点
中小、五〇点、五〇点
合計、三〇〇点、二九三点
平均、四二点、四一点
中小企業診断士の資格試験の正式な点数が発表された。先に示した数字が正式な点数で、あとのものが自己採点だ。ほとんど同じだが、合計点数が七点上がったので、平均点は一点上がった。準備期間が五ヶ月にしては頑張った方かも知れない。しかし六〇点で合格なので、これをあと一年かけてあげていく。平均で二〇点ほど、財務などは四〇点ほど上げなくてはならないので、身を引き締めて頑張ろうと思う。
診断士の資格勉強を始めてから、資格試験の勉強全般について興味が出て来た。テキストや問題集を買って勉強するのが面白いことに気がついたのである。
資格の勉強はある業界の様子を知ることができるものだ。たとえば、銀行業務検定などは、文字通り銀行が行っている業務全般の知識を習得することになる。この資格勉強をする事で銀行の業務やお金についての知識が広がる。つまり世の中の一部を知ることが出来るのだ。世の中という捉えどころのない事象についての知識が、部分的ではあるが、テキストや問題集、そして試験という形になっている。このことが大変ありがたい。捉えどころのないものを定量的に計ることが出来るからだ。どこをどう勉強すればいいか分からないことについての道しるべになり、またそれが実社会においても力になる。これが資格試験の勉強の魅力であると思った。
今までは学校の勉強は自主的にはしてこなかったし、したとしても本気になれなかった。それは直接的に自分の生活に関係がなかったからなのかも知れない。また本を読むのが好きでいろいろ買いあさっているけれど、読む以上に買うことも好きなのであるから、読めそうにない本も買ってしまうことも多く、全部を精読するような本はまれであった。しかし問題集があったり試験があることで目標が出来て、本は読むというより使うものであるというような感覚になり無駄な本は買わなくなった。自分の生活に関わりの多い資格勉強をする事で本気になり、試験があることで本を買うことが目的ではなく、本が合格するということの手段になったのである。診断士の試験を受けたことは、私に勉強の仕方を変えさせたのである。
診断士の勉強は、テキストを読み込むことから始めたわけであるが、効率よく勉強するには過去問からやればよかったと思っている。過去問を分析して必要なところから理解を深めていけば、もう少し点数がとれたのではなかっただろうか。しかし全体を知ることも必要であった。この資格の勉強にこれだけ労力をかけてもいいかを判断するためにも、全体を知りたかったのである。
世の中には資格研究家という人がいるらしい。鈴木秀明という方だ。年間八〇以上の資格を取り続け、現在では一〇〇〇を超える資格を持っているそうだ。その中には中小企業診断士も入っていて親近感が湧いた。東京大学理学部化学科を卒業し、同大学院の公共政策学教育部経済政策コースも修了している。この経歴にはなかなか親近感は湧かないが、そのかわりに憧れが湧いてくる。私もそこまで勉強したいものだ。
この鈴木秀明の本に『七日間勉強法』というものがあり、楽しんで読むことができた。途中でやめてしまう本が多いが、これは完読したのである。
この本には資格勉強の効率的な方法が紹介されているわけであるが、書いてあることを一文にすれば、「やらないところを決めて、大事なところは後回し」である。過去問をやって分析し、不必要なところはやらないと決める。そして大事なところは前日に追い込んで詰め込むそうだ。やらないところを決めるというのは納得がいくが、大事なところを後回しにするというのは、私にとっては意外な秘訣であった。この理由を読んでみると次のようなことであった。
「エビングハウスの忘却曲線」と言うものがある。これは、人は覚えたことを時間の経過とともに急激に忘れていき、同じことを一時間後に覚えなおすためには、最初にかかった時間の五六%を要し、一日後だと七四%の覚えなおす時間が必要というデータが立証されている。これを理由に、できるだけ早く復習をして記憶を定着させる勉強法はよくあるが、鈴木は、これを逆手に取り、曲線が下がりきる前に本番試験を迎えられるよう、忘れたくないこと、大事なことほど直前に覚えるようにするそうだ。復習の時間も最短に出来るようにという徹底した効率重視である。資格を取ったあとにその知識が残っている確率は低そうだが、記憶というものは強烈な体験とともに残ることが多く、もしかすると試験という非日常的な緊張感のある体験は、記憶を強く定着させる効果があるかも知れない。
私の診断士の勉強の場合は、七科目あり、二日間で試験を受けるので、すべての知識を前日に詰め込むことは不可能だが、過去問を分析したり、期間を設けて、その期日内に詰め込んでしまうという方法ならば参考になる。今後の勉強に活かしていきたい。
合格のための手段として本を認識するようになったとはいえ、本を買うことはまだまだ楽しい。最近買った本で印象的だったのは、『ポケット六法』である。これはその名の通り持ち運びしやすいハンディ型の六法である。普通の辞書ぐらいの大きさだ。書店で見かけてほしくなってしまった。
中小企業診断士の試験には「経営法務」という科目がある。そこでは民法、会社法、知的財産権などを扱うのだ。法律の勉強なんて大変だなーと思っていたが、実は以前に勉強をしていたことを思い出した。神職の資格試験である。その時は民法の他、憲法、宗教法人法、税法なども扱った。
神職に資格があることを多くの人は知らないかも知れない。これは神社本庁が認定する民間資格である。取得するには國學院大學や皇學館大学、あとは養成講習会などがある。私は皇學館大学の専攻科というところを修了している。
神職と法律というと意外かも知れない。神職は信仰の上の地位からすれば、祭祀の厳修に務めていればいいわけであるが、神社自体はそうはいかないのである。神社は戦後宗教法人とされ、宗教法人法という法律によって社会の中で存在している。よって神社は祭祀の執行や氏子崇敬者の教化といった聖なる部分とともに、神社の建物や土地を有することによる法人としての俗なる部分も有しているのである。この両方の役目を担うのが神職であって、実は神職と法律は関連が深い。深いにもかかわらず、私の仕事上の役割は主に祭祀に限定されていたために、今まで法律を扱うことはなかったのである。なので長い間自分が法律の勉強をしたことを忘れていた。それが診断士の勉強をきっかけに再度法律に興味を持つことになったのだ。
診断士の勉強における法律は、主に会社の設立、倒産、株式会社の機関設計などの会社法、知的財産や債権などの著作権法や民法についてである。つまり会社を経営する上で必要なものが取り扱われる。組織を社会の中で存在させるためのルールは知っておかなければならないのだ。勉強のはじめは難しい言葉に拒否反応が出ていたが、最近ではだんだんその難しい言葉が好きになってきている。周知表示混同惹起行為とか著名表示冒用行為などは、漢字がいっぱいなところがゾクゾクするのだ。
神職においても、中小企業診断士においても不可欠な法律、もっと知りたいと興味を抱いている。現在の印象をいうと、法律は論理的で硬いが、一方それが守ろうとするのは人間の権利や心といったとても柔らかいものであるということだ。たとえば、神社においては信仰という人間の心の奥に存在する柔らかな部分を守るために、法律があるような気もする。というのは後述するが、法律が神社の物理的な側面を守ることによって、そこから派生する神道思想も守っているように思うからだ。会社においても日々の人々の暮らしを法律が硬く守っている。そんな風に見た目はとても近寄りがたいが、その本質は優しくまた厳しくも私たちを守っている印象だ。
三島由紀夫が『法律と文学』の中で刑事訴訟法の論理の進行を「汽車が目的地へ向かって重厚に一路邁進するような、徹底した論理の進行」と表現し、また「この無味乾燥な手続きの進行が、かえって、人間性の本源的な「悪」の匂いを、とりすました辞句の裏から、強烈に放っているように思われた」ともいい、法律の論理的な冷たさと現実の生々しさの対比を見事な描写で言い表していた。このように私をして、法律の難しい言葉が抽象的に切り取った現実の風景が生命的な具体性を想像させるのである。
さらに神社にとっては、法律は最も重要なものかも知れない。それは神社と神道思想の関係から言える。たとえば教会やモスク、寺院がなくなってもキリスト教やイスラム教、仏教はなくならないかも知れない。しかし神社がなくなれば神道思想はどうなるだろう。他の宗教とはすこし違いを感じる。マーク・テーウェン氏が『神道の概念化とユートピア』の中で「イスラム教→モスクに対して、神社→神道という図式になるわけです」といっているように、神道の場合、ある思想があってから神社という信仰の施設が出来るのではなく、神社があるから思想が出来たというような、他の宗教とは違うものを私も感じる時があるからである。もちろん神という目に見えない存在を崇敬することから始めるのだから、思想が先にあると言えるが、森に囲まれ、鳥居が立ち、社が佇む神社がなければ、現在の自然と共存し祖先を大事にする神道思想は違ったものになったのではないだろうか。そこには他の宗教とは違い、具体物の信仰、たとえばご神木や米などと、いわゆる神道思想が文字通り生木を裂くように、切り離すことが困難であるからではないだろうか。
つまり神道思想を守り発展させていくには神社という場所が不可欠であり、その神社を社会の中で守るには法律が不可欠であるので、神社にとっては法律が最も重要と言えるのではないだろうか。右脳で心、左脳で論理を司るように、祭祀で心、法律で神社の経営を守ると言えるかも知れない。
話しは変わって、私は離婚をしていて二人の子供達とは別居している。以前から次男はやんちゃで問題行動を起こすことが多かった。母親が警察などに相談をするぐらいであったので、相当なレベルである。その次男が九月末にはいよいよ児童相談所に一時保護されてしまったのである。警察が学校に迎えに行ったようだ。その時から今日までずっと家を離れ、児童相談所で生活をしている。そしていつ家に戻れるかの目処は立っていないのだ。詳しいことは割愛するが大変なことである。大変なことであるが今は待つ以外にないのである。そんなことを言っている場合ではないが、このことも法律に目を向けさせるきっかけとなった。というのは離婚の時の問題が未解決であったので、弁護士に相談をしたのである。初めての経験であった。鋭い目つきとゆっくりとした話し方が印象的な、四十代ぐらいの男性の弁護士であった。子供を守るためにも鋭い眼光は必要なのである。
また先日神社に、伊勢にいた頃に神社関係法規という法律の授業の先生が尋ねてきてくださった。簡単な世間話をしただけだが、法律に興味が湧いてきた今、Facebookでつながっているので、法律の話題でメッセージでもしてみようかと思っている。
偶然にも法律に関することが身の回りで起きたので、何かの縁だと感じて、それらに導かれるままに進んでいこうと思う。法律は論理的で非常に厳しい。しかしその厳しさは、柔らかくてはかない、とても大切なものを守るためなのかも知れない。本を買うことが目的から手段になった今、ふでのまにまに六法をめくるのだ。
令和七年十月十日
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