引き出す力
「過去問から始めればよかった。」中小企業診断士の勉強を始めてから四ヶ月あまりがたち、あと三週間後に試験をひかえた今、これが私の正直な感想である。まずは全体を把握してから個々の論点を見ていく。そのことによって個々の論点が全体の中でどのような関係にあるかを理解することができ、その理解が個々の論点にそれぞれの性格を与えて、記憶に残り理解を深めることができる、そんな風に考えていたが、それはあまりにも理念的であった。実際はもっと具体的に問題文や形式が個々の論点の性格となり、私の中に残る。直接的な過去問とのふれあいが私の経験値となり、知識となってゆく。それがテキストを読み、問題集をやって、ようやく過去問に触れた時に感じたことだ。だから勉強を始めた時から過去問に触れていれば、今頃もっと知識が身についていたのではないかと思うのだ。「過去問から始めればよかった。」
しかし全体から個への勉強法が全くの無駄であったわけではない。つまり各教科のテキストを読み全体の流れを知り、そして問題集を解いて個々の論点が要求するものを知ることは、この資格の常識というか、空気感というか、相場を知ることができたことは確かである。この資格のことを全く知らなかった私にとっては、必要な過程だったのかもしれない。なぜならこの資格のことを知り、好きにならなければ、ここまで熱心になることはできなかったであろうから。
つまりは合理的に最短距離を進むのならば、過去問とその解答の解説をテキストのように読み込むことを一番にして、理解できないところはテキストを読み、問題集で練習するのがいいだろう。しかし、勉強はただの作業ではない。心の影響を受けている。感情がこの勉強に対する情熱を与えて、またそれぞれの知識に対する深い洞察を加える。だから人によって最短距離は違うのではないだろうか。私の場合、この資格にこれだけのお金や時間を費やしても有益だという納得がなければ、先には進めなかっただろう。その意味ではテキストから知ることのできる全体的な体系をはじめ、資格にまつわる社会的な情報も必要であったと思う。「過去問から始めればよかった。しかし、これでよかったのかもしれない。なぜならこの資格が好きになったからだ。」この四ヶ月を振り返った時、これが私の本当の思いである。
この資格が好きになった理由に「助言理論」という科目がある。これは平成十七年まで一次試験にあったもので、現在は二次試験で扱われている。問題発見、課題抽出、カウンセリング、コーチングといったコンサルティングに必要な知識やスキルに関する科目である。八月に一次試験をひかえた私には、今のところ必要のない科目だが、その存在を知ってしまったら気になり始めて、検索してしまった。そしたら平成十三年に出版された教科書が出てきたので、買わずにはいられなかった。二十年以上も前の本であり、興味のある内容だから、古本好きの私には耐えることができなかったのだ。
試験勉強中なので内容を細かくは読んではいないが、診断士には経営に関する専門的な知識が必要なことはもちろんであるが、伴走するかのようにクライアントに寄り添い、経営における解決策を与えるのではなく、経営者や従業員から引き出すということも大切だと書かれている。
経営にはある一定の答えがある。理論を用いて現在を分析すれば答えは自ずと出てくる。だから論理的に考え、効率的に行動すれば利潤は最大化するだろう。しかし経営は人間のする事だ。利潤や効率の良さだけが答えにはならないことがある。経営者や従業員にとっては、仕事時間は人生である。合理的ではないことがあっても不思議ではない。だから常に答えはテキストや計算から導き出されるとは限らないのだ。
経営のこういった側面には知力ではなく、人間的な力が必要となるだろう。その時キーワードとなるのが、引き出す、経営者や従業員から答えを引き出すということだと思う。
私にはモーニングページという習慣がある。これは朝起きた時に頭の中にある物をすべて書き出すというものだ。何も書くことがない時には「何も書くことがない」と書けばいいのである。この習慣がきっかけとなって、酒浸りの日々から抜け出し、さまざまな本に巡りあい、今は中小企業診断士の資格の勉強をしている。私にとっては力があるものなのだ。
このモーニングページの力とは、引き出す力であると思う。なんとなく答えが頭の中にあるのだが、なかなか言葉にならない時は、違っていてもいいのでどんどんと言葉にしてみる。そうすると徐々にその答えに近づくことができるのだ。違うと思って書き出した言葉が、次の言葉を生み、その言葉がまたさらに次の言葉も生む。そして自分の考えに気付くというか、答えを引き出すことができると思っている。
もう一つ私には少し変わった習慣がある。それは占いだ。それもカードを使った占いで、今はタロットを主に使っている。モーニングページもだがこちらのタロットも人にはあまり言えない習慣である。ちょっと変な習慣だと思っているので、恥ずかしいのだ。このカード占いは小さい頃から、なんとなく神様の意思を聞くような感じでやっていた。もしくは自分が思う結果が出るまでくり返していたのかもしれない。カードを繰りながら質問を思う。そしてカードを並べて占う。小さい頃はどんな風にしていたか忘れたが、トランプを使っていたと思う。今はタロットを使うが、占いだと言われると少し違和感を感じる。私としては思考や会話に近いのだ。
ある質問についてカードを選ぶ。そのカードが意味することと現実や自分の思いを頭の中で並べた時に始まる思考や会話が楽しいのである。
今試しにやってみよう。質問は「中小企業診断士の資格は私にとって何の意味がありますか?」としよう。そしてカードを引く。今回は、ソードの六とソードのペイジが出た。ソードの六は、過渡期や進路変更を意味する。そしてソードのペイジは分析力の高まり、情報収集、戦略の計画などの意味がある。ここから自由に発想させてみるのだ。私は神主だけれども、診断士の資格を勉強するのは確かに進路変更である。勉強を始めてからは四ヶ月なので、その過渡期といってもいいだろう。そしてこの進路変更は、今後の職場での役割や私個人の将来のことを考えた結果なので、ぴったりくるような気がする。なぜだか毎回納得するようなカードが出てくるのだ。試しにもう一回引いてみると、ソードの一〇とカップの六が出た。ソードの一〇は苦悩や限界、そしてその向こうの夜明けも意味し、カップの六は、懐かしさや過去の幸福を表す。職場ではいろんなストレスがあるが、去年の正月頃からひどくなり始め、今年の正月明けには限界を感じることがあった。しかし今の職場を辞める勇気も実力もないと絶望していたところに診断士の資格を知り、勉強し始める。これはあたかも、苦悩や苦痛が限界に達して終わりを迎えたが、その向こう側の夜明けの希望として診断士の資格が現れたかのようだ。そしたら小学校の時の友達から連絡があり会ってみると経営者になっていて、資格の勉強について興味を持ってくれた。昔の懐かしさとともに、現在でも共に興味のあることで話し合える喜びを感じたのであった。
これは一種の「こじつけ」である。しかしその「こじつけ」が楽しい。そして妙に納得するのだ。ちょうどモーニングページで書き出した言葉がつながって意味を持ち始めるのと同じように。私の中で何かがつながり、答えが引き出されるのを感じるのだ。だから私にとってタロットは占いという何かを予測したり、的中させるものではない。カードの意味からヒントを得た自分なりの理解なのである。
箱庭療法というものがあるようだ。これは、砂の入った箱の中にミニチュアの玩具を自由に配置することで、クライアントが自身の内面を表現する心理療法である。言語化が難しい感情や葛藤を、砂や玩具を使って視覚的に表現することで、自己理解を深め、心の状態を安定させることを目的とする。私にとってのモーニングページやタロットは、これに似たような感じだ。だとすれば私は療養を必要としているのだろうか。
もし診断士の仕事をしたならば、モーニングページやタロット、そして箱庭療法のように、クライアントの自己理解を促し、自ら進んでいく力を引き出すようなことをしてみたい。しかしよく考えてみると、それは今からでもできる。家族、職場の人、友人の素晴らしいものを引き出せたら、それは楽しいことだと思う。
経営の専門的な知識を身につけ、仕事や副業に役立てる。そしてその具体的な方法は、神社では上司の助けとなり、また上司の力を引き出すような人間力も発揮したい。副業では、さまざまな人と関わり合い世の中を知りつつ、伴走しながら、経営者たちの思いを言語化し、実現する方法を共に考え、行動してゆく。またプライベートでも子供たちや伴侶の良いところを引き出して伸ばしていきたい。私にとっての中小企業診断士の資格はこんな形をしている。いい形だ、これでよかったのだと思う。「過去問から始めればよかった。しかし、これでよかったのかもしれない。なぜならこの資格が好きになったからだ。さあ楽しいことを始めよう。」
令和7年7月15日

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